データ・サイエンティストは可視化の夢を見るか?

Does Data Scientist Dream of Visualization?

発想力の差 —— 学問のススメ ——

昨日は Code for Japan Summit 2016 の『前夜祭』にも参加してきました。
そこで各プロジェクトの紹介がありましたが、出色の出来のものがひとつありました。
詳しいことは勝手にネタバレしても申し訳ないので特に秘しますが、物理数学を社会問題の分析にアプライする、といったものです。
私自身も某研究室で、物理数学の初歩を音楽・音響の解析に使う手法を教わって、はからずもその概念を若干拡張することができた経験があります。
やっぱり温故知新、歴史に学ぶことは大切なのです。

え? 論理の飛躍がある?
ええ。でもね、古代からの研究者たちがどのような問題に直面し、それをどんな手法を用いて解決してきたか、その苦闘と進歩の歴史を学ぶことは無駄ではないのです。というよりイノヴェーションの源泉だったりします。だから私は山本義隆翁の著書が好きで、いまは放送大学『数学の歴史』のコマを受講中です。


きょう視聴した第 5 回は、アラビア盛期の代数学についてでした。
オマル・ハイヤーム(最近の学説では『ルバイヤート』の詩人とは同姓同名の別人だそうです)は当時のかぎられた道具立ての中でも、二次方程式や三次方程式について代数的にも幾何的にも解の公式を案出しています。それはいささかトリッキーだったりしますが、本当によくよく考え抜かれたもので、しかも現実の商業などに於ける問題を解決するニーズがあってのものです。


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個人的に(学部で科史科哲を習ったので)基礎科学が実用性に縛られるのは却って危険で進歩を阻害するのを知っていますが、だからといって現実の社会問題を解決することができるのであれば、それは研究者にとっても別種の喜びであろうことは想像に難くありません。先にちょっと言及した『相関解析プログラム』も音楽・音響にかぎらず、動的時系列データの解析には一定の効果を上げられることが強く期待され、実際、多少の試行錯誤はしています。

個々人にとって向き不向きはあると思います。
そういったことは学校での、先生との出会いや相性も大きく作用しているでしょう。
でも、勉強にチャレンジしてみることはやっぱり良いことだと思います。
そして大学に進むことも。
正直いまの日本では、形骸化してしまっている大学は多そうです。
だって、大学生にもなって『リメディアル』などと称して、小学生からの勉強をドリル形式でやり直さなければならないほど学問が身に着いていなかったりするのです。ほんとうはそういう子には職業訓練校を薦めたりしたくなるのが本音です。大学には大学の役目があるだろう、と。でも、いまの日本ではその職業訓練校が実質、中位以下の大学(特に私学)だったりするのです。現状がそうなら仕方ないではありませんか。すくなくとも今の自分はそれを已むなしと肯定するようになりました。ならざるを得ないのです。だって、学生はむしろ被害者である側面が強いからです。そのような被害者を生むような社会構造、産業構造の問題が主であるからです。
巷間の報道に触れていると、まるで学生側の問題であるかのように叫ばれる学力低下問題ですが、それはわたしたちのような年長者、あるいは企業の経営者層の頽落ぶりが淵源である気がしてなりません。どうも現代日本では枝葉末節ばかりが俎上にのぼり、本質的な原因とか問題構造といった主要因が隠蔽されがちだというきらいがあります。

これは若者たちにたいして申し訳ないことですし、元若者として真っ先に年長世代の犠牲になったのが第 2 次ベビー・ブーマー世代だったりします。此の国は今後も、人口動態の改善が見られないまま長期的に衰退していくでしょう。『自己責任』という damn word で社会的な問題や政治の失策の数々を弱き個々人に責任転嫁してきた結果です。


正直、いじめることにもいじめられることにも辟易してます。
ほんとうは個人としてのしあわせだって多少は追求したいし、それをして文句を言われる筋合いは誰にもありません。
でも、わたしは禅に、仏教に参じた者でもあります。
そう思うと、もう悄気ている場合でもなくって、自分にできる範囲で好いから本来の仕事をしたいのです。


(いや、いつ、ケツ巻くって此の国からオサラバするか分かりませんがね。それくらいの非道い想いもしてきていますよ。べつに苦しんでいる人々は日本にだけ居るのでもないのです。)